号外 全日本剣道連盟新会長挨拶

全剣連新会長挨拶

全日本剣道連盟会長

真砂  威

 この度、全剣連理事会において令和7年・8年度の会長に選定されました。身に余る重職ですが、皆様方のご協力をいただき任務を全ういたしたく存じます。
 私は昭和21年(1946)に生まれました。今年は戦後80年の年ですが、くしくも戦後生まれ初の会長をつとめさせていただくこととなります。
 私が生まれる1年前、昭和20年8月、第二次世界大戦の敗戦は剣道界に大きな打撃を与えました。
 わが国はGHQ(連合国軍最高司令官総司令部)の占領下に置かれ、翌年「日本教育制度改革に関する極東委員会指令」が発せられます。
 おおよそ次のような内容です――
「すべての教育機関において、軍事科目の教授はすべて禁止さるべきである …剣道のような精神教育を助長する昔ながらの運動もすべて廃止せねばならぬ」
 この指令により日本国内は剣道の火が消えてしまいます。
 そして約7年間の「剣道空白期」を置くこととなります。
 昭和27年(1952)4月、サンフランシスコ講和条約の発効により日本は独立を回復し、ようやく剣道が解禁となり、同年10月「全日本剣道連盟」が設立されます。私は6歳、まだ剣道へのもの心はついていません。
 その翌年の昭和28年、文部省は「学校における剣道の実施について」を発し、純粋スポーツであることを強調した上で、高校、大学で実施することが認められました。
 中学校で認められるのはその4年後の昭和32年(1957)です。私は11歳、小学校5年生でした。ご多分にもれず漫画「赤胴鈴之助」に憧れ剣道をやりたくてうずうずの日々でしたが、当時はまだ小学生が剣道を習う環境にはありませんでした。
 その2年後の昭和34年、中学校へ入学し晴れて剣道部に入部しました。それから中高大と紆余曲折の学生時代を送りますが、不器用ながらも一貫して修錬に励んで参りました。
 昭和45年(1970)、兵庫県警察の警察官を拝命し、機動隊勤務の傍ら特練員として約13年間過ごします。選手生活を終え剣道指導職を勤めるなか、平成5年(1993)に警察庁へ出向、警察大学校(警大)勤務となります。これは当時の警大教授(術科教養部長)であられた松永政美先生が退職、その後任人事として私を指名していいただいたものと心得ております。ここに人生の大きな転機がありました。感謝お措く能わず。その松永先生は令和3年(2021)9月、米寿の歳に黄泉の客となられました。衷心よりご冥福をお祈りするものです。
 松永先生のご期待に応えることができたかどうかはともかく、警大では14年間勤め上げ、平成19年(2007)に退職いたしました。
 全剣連では警大勤務になった当初から、「剣窓」編集委員や国際委員また称号段位委員などを務めさせていただきました。退職後は常任理事として主に審査を担当、その後は「剣窓」編集委員長をつとめ、令和2年3月から副会長を仰せつかっておりました。
 すでに新体制により各種行事が推し進められていますが、任期中には大きな事業が二つ控えております。その一つは来年5月、長年の懸案事項であった、アジア・オセアニア剣道連盟の設立と、第1回アジア・オセアニア剣道大会が東京開催の予定で準備を進めています。
 もう一つは、再来年(令和9年)の5月には第20回世界剣道選手権大会が、今までの最大規模で、これまた東京にて開催予定となっています。
 この二大事業をどうしても成功に導かなければなりません。つきましては、主管する全剣連代表者として粉骨砕身つとめ上げる所存ですので、どうかよろしくお願い申し上げます。

一覧へ戻る